才能教育研究会ピアノ科




投稿者: river 投稿日時: 2009-5-1 2:28:10 (940 ヒット)

 辞書をひいてみると、知識は『あるものごとについて知っていることがら』人格は『1:人柄・品性  2:心  3:倫  4:法』とあります。

 人間にとって知識はとても大切なものです。そして便利なものです。地球上に住む生き物の中で人間だけが素晴らしい知識を持つ能力を与えられています。石器時代から人類はその時代々々に生き、努力して得た知識を次の若い世代に伝え、若い人達は受け取ったものの上にもっと高い知識を積み重ね、何千年もかかって今日の文明を築き上げてきました。

しかし、昔の人達はその反面の人格教育も祖父母から親に子に孫にと大切に受け継がれてきたように思います。


 ところが、日本では50年前の戦後から世の中が知識ばかりを大事にするようになり、それがどんどんエスカレートしてどこの家庭でも母親が目の色をかえて学校の成績ばかり重視するようになってしまいました。

 前にも言った通り、知識はとても便利で大切なものです。でもそれは例えると、人間にとって大切な物の10のうちの一つであってすべてではありません。

人間には人間としての立派な人格が育てられなければいけないのです。それは世の中を一生いきていく上でとても大切です。社会の中、家庭の中で物事が円滑に運ばれるための礼儀→ルール→思いやりの心 等々です。

 知識だけでは大人になってどの分野で仕事をするにも、良い仕事が出来るという保証はありません。その証拠に、近頃テレビ・新聞のニュースをにぎわせている住専と大蔵省、HIV訴訟と厚生省、医師と薬品会社の経営者の方々は、普通の人間の常識としては考えられない事をやっておられます。 この方達、みな最高学府を出られた高学歴の人々です。 即ち、知識は最高に豊富な人達ですが人間としての人格はゼロです。知識と人格は何の関係もないとよく言われますが、その通りですね。

 私達は生まれた子ども達を立派な人格を持った人間に育てるため知識偏重でなく、人間としての基本的なマナー・モラル・ルールを守れること、愛情深い心と芸術を理解出来るセンスを育てなければいけないのです。

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投稿者: river 投稿日時: 2009-3-31 2:30:37 (1070 ヒット)


 明治生まれの人はいつも生活の中で、なかなか良い事を言いました。

これも昔、母が繰り返し私達に言った言葉です。『勉強はいつでも自分より上の人を見なさい。決して自分より下の人を見てはいけません』そして、『生活は自分より下の人を見るのです。上を見てはいけません』

 本当に素晴らしい言葉です。でも現実にはなかなかこうは出来ず、勉強は自分より出来ない人を見て『私は出来るんだ!』と思いあがって怠けてしまい、生活はいつも自分より良い生活をしている人を見て羨ましく思い、現状を感謝する事を忘れて文句ばかり言っているような気がします。

 要するに、人間はいつも高い目標に向かって努力し、物を追い求めないで心を大切にしなさいという事ですね。

 子どもの教育でも同じ事が言えます。3才のYちゃんと1才半のH君は『アンパンマン』に一番よく反応します。それで親もつい子どもを喜ばせたくてそればかり見せてしまいます。 私はそのビデオを知らなかったので見せてもらいました。それは非常に単純明快な勧善懲悪のお話です。

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投稿者: river 投稿日時: 2009-3-6 4:09:32 (903 ヒット)


 嬉しいことに大阪のT先生から松本の生徒5人が演奏会に呼ばれて、弾かせていただくことになりました。

それは2月10日でした。コンサートはT先生の生徒さん全員の3台のピアノのコンサートです。そしてその後で、松本の子供5人はソロでそれぞれの曲を弾かせていただく事になりました。


 そのうちの一人が私の生徒でした。K君は小学4年生で体は小さいのですが、元気のかたまりのような明るい良い子です。住まいが松本でなく車で一時間程離れた上田市なのと、お母さんが忙しく(?)、時々レッスンを休みますし、練習も・・・・。 でもはっきりものが言える子供で「行きたい!」と真っ先に言いましたし、お母さんも「この所、どこへも旅行していないので関西へ是非行ってみたい」と言われるので、バッハのジーグを弾くのはK君と決まりました。

 さあ、それからK君は私も驚くほど張り切りました。私は彼がこの機会に一生懸命練習してくれれば彼にとってこんな良いチャンスはないと思い、「関西のT先生に模範になるような上手な生徒お願いしますと言われてるのよ。どうする? 上手な生徒ですって!」と言いました。K君は私の言ったこの言葉が、普段自分のやっている事と比べひどく気になったらしく、ものすごく責任を感じ一生懸命になりました。

 大人でも子供でも目標があって自分自身の心の中で、『やる』と決めるとすごい力が出るものです。コンサートも近づいて来た2〜3週間前のレッスンの日、教室のドアを開けて入ってくるなりK君はこう言いました。「僕、今週はすごく沢山練習したよ。先生に言われた部分練習もきちんとやった」そしてレッスンが始まって彼はジーグを弾きました。

ところがそれは一生懸命意気込んで弾いたのですが、音は乱暴、三連音符は不揃い、もうガチャガチャでやかましいだけです。私にはすぐ分かりました。悪い練習を沢山したのです。そうすれば必ず下手になります。その見本みたいな弾き方でした。しかしK君には責任はないのです。悪い練習をさせた監督さん(お母さんのことを私はいつもこう言っています)の責任です。

 それで私は「とても一生懸命やったね。それは偉い! でもやかましくってこんなのとてもコンサートで弾けないよ」って言うと、K君はぱっと私の方を向いて「お父さんがそう言った!」と言うではありませんか。

 お父さんは音楽の先生ではありません。「お父さんは何でもよく分かるんだね」と言うと、それはそれで嬉しそうです。何も分かりそうにない人の方が本当の事がよく分かるのですね。「じゃあね、お父さんに誉められるよう、ちゃんと勉強し直そうね」と話しました。

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投稿者: river 投稿日時: 2009-1-22 2:57:46 (958 ヒット)


 皆さん知っていますか? テレビって真夜中に時々とても良いドキュメンタリーをやるのです。どうして真夜中でなくもっと皆が見られる時間にやらないんだろうと思うほど良い話なのです。

 又この間、真夜中にテレビをつけてみました。そうしたらある一人の筋萎縮症の青年の事をやっていました。名字は忘れましたが『ケンちゃん』です。

 生まれた赤ちゃんの時も2〜3才の時もとても元気のよい子供だったそうです。それが5才の時に異常が見つかり病院で筋萎縮症と診断されます。体の筋肉が徐々に動かなくなる病気で治療の方法がないので、彼も20才迄しか生きられないだろうと病院で言われました。

 ところが彼は今30才です。勿論、病気はどんどん進行していて体は全然動けません。人並みに出来る事は喋る事だけです。寝る時も瞼にテープを張らなければいけないし、食べる時も下あごが動かなくなってきているので、金属の棒を車椅子につけてそこにあごをのせ、食べたり喋ったりしている状態です。

 体のどこも動けませんから移動は車椅子と、その他の所はお母さんが背負っています。お母さんも一日に4回インシュリンを打たなければいけない病気持ちの身です。それなのに、24時間息子に付き添って面倒をみています。

 ケンちゃんが20才になった時、お父さんに「20才といったら大人だ。自分の食いぶちは自分で稼げ!」と言われたのがきっかけで、二畳半の小さいお店に「ケンちゃんのマンガ塾」を開き、近所の子供たち相手に商売を始めたのが最初です。そして10年間の間にだんだん大きい『K-Books』という本屋さんを始め、今は確か三店舗か四店舗を経営しているのです。

 そしてそれも東京の池袋のサンシャインビルの中に一つ、吉祥寺駅の近くに一つ、という風に本当に立派な本屋さんなのです。従業員も何十人にもなり社員旅行で温泉に行ったりもしています。その総指揮をとっているのが、筋萎縮症で何も出来ないはずの『ケンちゃん』なのです。

 彼は決してじっとしていません。どこの店へも自分の目で見なければ気がすまない時は必ず出掛けます。(お母さんが大変!)そしてお店で指揮をとっている時の厳しい事、一寸でも気を抜いて働いていると、彼の罵声がとんできます。かなりなんてものではなくとても厳しいのです。朝から晩まで世話になっているお母さんも店で働いているのですが『ケンちゃん』に怒鳴られ通しです。

 でもあれだけ重症の病人が気合いを入れて怒ると説得力があります。誰も反発する事は出来ない雰囲気です。だからそのお母さんを始め、店長さんもその他の社員も叱られながら真剣に働いています。

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投稿者: river 投稿日時: 2008-12-25 2:05:00 (979 ヒット)


 昨年の11月27日愛知県西尾市の中学校の生徒がクラスの友達からいじめられて大切な命を亡くしてしまいました。 このような事が二度と起こらないようにと願っていたのに、また今年も同じ日に新潟県の中学の男の子がいじめのために命を失いました。

 いじめについて考えてみると、おそらく人類発生の初めから何人かの人達が集団を作ると、お互い助け合えて良い事もある反面、強い者が弱い者をいじめるという問題が必ず起こっていると思います。

神様はいろいろなタイプの性格を持った人間を作られたので、どうしてもいじめる者といじめられる者が出来てしまうのです。 そしてそれが、物が豊かで心が貧しくなっている状態の今の社会では恐ろしいほどひどい『いじめ』になっているのではないでしょうか。 それでもそういう仕組みになっているから『黙って見ていても良い』という訳にはいきません。

 私達は『自分さえ良ければいい』と考えがちですが、それではあまりにも無責任です。当事者もまわりの人々もその問題をどう解決するか、心を合わせて話し合い弱い者の味方になってあげなければいけないのです。

 学校のいじめではないのですが、私にも12〜13才の頃から心に重くのしかかったいやな想い出があります。 大人になってしまえばたいした事ではなくても、その時にはその悩みを誰にも話すことが出来ず一人で苦しみました。

10代の子供にとっては学校と家だけが今生きている唯一の世界です。もう少し大人になればそこから出られて、素晴らしい未来のある広い広い世界が待っているなんてことは全然理解できません。 今生きている学校と家とが救われないような辛い状態だと、もう絶望して死んでしまいたいと真剣に考えるのです。

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