サンタクロース

投稿日時 2004-12-13 1:19:24 | トピック: コラム

 1897年、ニューヨークのサン新聞社に一通の手紙が寄せられた。差出人はバージニア・オハロンという8才になる少女。その内容は次のようなものだった。

 “記者さま  
あたしは8才です。あたしの友達の中に、サンタクロースなんていないっていう子がいるんです。パパに聞いたら「サンしんぶんにきいてごらん。しんぶんしゃでサンタクロースがいるというのなら、そりゃもうたしかにいるんだろうよ」といいました。ですからお願いです。教えてください。サンタクロースってほんとうにいるんでしょうか?”

 この手紙への返事として、サン新聞のベテラン記者、フランシス・P・チャーチは社説の中でこう答えた。
“そうです、バージニア。サンタクロースがいるというのは、決してうそではありません。この世の中に、愛や、人への思いやりや、まごころがあるのと同じように、サンタクロースもたしかにいるのです。
 あなたにもわかっているでしょう。
 世界にみちあふれている愛やまごころこそ、あなたの毎日の生活をうつくしく、楽しくしているのだということを。
 もしもサンタクロースがいなかったら、この世の中はどんなにくらく、さびしいことでしょう!
 サンタクロースがいないですって!
 サンタクロースが信じられないというのは、妖精が信じられないのと同じです。ためしに、クリスマス・イブにパパにたのんで探偵をやとって、ニューヨーク中の煙突を見張ってもらったらどうでしょう? ひょっとすると、サンタクロースを捕まえることができるかもしれませんよ。
 しかし、たとえ煙突からおりてくるサンタクロースの姿が見えないとしてもそれがなんの証拠になるのです?
 サンタクロースを見た人はいません。けれどもそれは、サンタクロースがいないという証明にはならないのです。
 この世界で一番たしかなことは、それは子どもの目にも、おとなの目にもみえないものなのですから。
 サンタクロースがいないですって?
 とんでもない! うれしいことに、サンタクロースはちゃんといます。それどころか、いつまでもしなないでしょう。
 一千年後までも、百万年後までも、サンタクロースは子どもたちの心を、今とかわらずよろこばせてくれることでしょう。“  「サンタクロースっているんでしょうか?」(偕成社刊より抜粋)
 これはもう有名な話です。日本でも中学校の教科書の中に載っていて、皆さんよくご存じだと思います。私も何度か読んだ記憶があります。それでも読むたびに感動してしまいます。8才の少女に、新聞社の社説という形で返事を書いたこの記者のやった行為は、90年経った今でも新鮮で素晴らしいことです。

 私も小学校1年生の時にクラスの友達と学校から家へ帰る帰り道、2人で言い合いをしたことを覚えています。その友達は「サンタクロースはいる」でした。私は「いない!」と言い張りました。だってその前のクリスマスにピアノを頼んだら、25日の朝枕元に置いてなく、お昼ごろ男性が2〜3人でトラックに乗せて持って来たからです。

あれから58年経った今、やっぱりあれはサンタクロースの仕業だったのだという事がはっきりわかりました。天は私にピアノを勉強しなさいとプレゼントして下さったのです。そして豊かになって、又次の世代にピアノ演奏の愛をプレゼントしなさいと言うことだったのです。分かるのに長い年月がかかりましたけれど、分かって本当に良かったと天に感謝しています。そしてこれからもずっと本物の愛をおくれる人になりたいと思っています。

以前私は長いこと、愛は何が何でも人に与えるものだと信じていました。「自分を犠牲にしても人に与えるのだ」と考え続けました。しかし、ただでもまだ若くて未熟で何も持っていない(精神的にも物質的にも)私は与え続けると、自分がみじめになることに気が付きました。そして心も物も豊かでなくなってくると、ろくな事は起こりません。だんだん暗い落ち込んだ気分になって、否定的な事ばかり考えてしまいます。目の前はすべて灰色です。
そして愛ってなんだろうと考えました。それは難しい問題で長いことずっと分からなかったような気がします。長いこと私のまわりには、あまりにもわけの分からない愛(本物ではない)が転がっていたからです。

 本物の愛を人にプレゼントするには、まず自分が豊かで(物質ではない)幸せな心にならなければ駄目です。たとえば人に何か教えるにしても、自分がまずその教えることが充分できなければ教えることは出来ません。ピアノで豊かな良い自然の音が作れて、初めて人に(生徒に)教える事が出来ます。それを愛と一緒に分けてあげる事が出来るのです。自分は良い音を作る事が出来ないのに、知識でそれを教えるとそれは必ず間違ったものになってしまいます。

ピアノだけでなく何でも同じことです。家庭の躾でも、親のやっていないことは子供の身にはつきません。無いものは与えられないからです。子供達に本物の愛をプレゼントするには、まず親でも先生でも襟を正して自分が勉強し(机に向かって勉強するという意味ではありません)幸せにならなければなりません。そうすると、その人がそこに居るだけで周りの人はその幸福の光を受けて幸せになるからです。

 今年の終わりにあたって、私達大人は素晴らしいサンタクロースになれるよう、又来年ももっと素晴らしく、前向きに向上するよう勉強したいものです。【K】(1991.12.19.掲載)



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