砂漠に水をまくような仕事

投稿日時 2006-10-31 1:11:08 | トピック: コラム


 3才の時からピアノを才能教育松本音楽院(松本支部)で勉強して現在長野県の高校の国語の先生になっているA先生から手紙がきました。10月1日の夜、野島 稔さんのコンサートを聴いた感動を書いて送って来てくれた嬉しい手紙です。

 『先日は野島 稔さんのコンサートによんでいただいてありがとうございました。6月の誠ちゃん(東 誠三)の時もそうでしたが、本当に幸福な時間を持つことができました。
毎日毎日、砂漠に水を撒くような仕事をしていて、自分はいったい何をしているのかと思う時もありますが、1日は松本へ行って素敵なピアノを聴き、ほんの僅かの時間でしたが先生にお会いすることもできて、大袈裟に言うと生き返ったような心持ちでした。演奏は後半の第二集の方がよかったように思いますが、どうだったのでしょうか。ともあれ、久し振りに本物のピアノの演奏を聴くことができたように思います。 −後略− 』

 私はあなたと3才から高校3年までピアノの勉強を通して15年も付き合いましたから、あなたの性格はよく知っています。もの静かで落ち着いていて、何があっても決してあわてるなんて、はしたない事はしないけれどボソボソっと何か一言いうと、それがとても人を楽しませる温かいユーモアがあり、本当に良い人柄です。

 あなたが高校3年になった時お母さんが私に話してくれた話、今でも楽しくて忘れられません。それは「大学受験を前にしてピアノと絵を書く事(上手でしたね)と勉強、お前には3つは無理だから、どれかひとつ止めたら?」と言ったら即座に「それなら僕、勉強止めるわ」って言ったそうですね。本当に楽しいユーモアのある話で、お母さんと一緒におなかをかかえて笑ったのを覚えています。

 でもあなたは、親に対しても心やさしい人で、大学3年の時2才年下の妹さんが大学に受かってからは親からの送金には手をつけず、アルバイトで頑張ったという話も知っています。そしてピアノもとても上手に弾けるし、それにもまして嬉しいのは音楽が本当に好きな人になりましたね。

 この文章の題に使わさせてもらったあなたの手紙の中の、「砂漠に水を撒くような仕事」というところで私は何とも説明しがたいのですが、一人で大笑いをしてしまいました。そしてとても嬉しくなってしまったのです。ちっとも授業を真面目に聞いていない生徒を前にして、あなたが一生懸命、ほんとに一生懸命、心を込めて教えようとしている姿が目に浮かんだからです。
 教育の仕事は、その場その場では成果が上がったかどうか分からない気の長い、息の長い仕事です。親が子供を育てるのも同じことです。親と子では立場がまったく違うので、親がいくら一生懸命子供の事を考えて教えたり、何かやってあげる事でも、子供達には全然分かってもらえず、その上反発される事だってあります。子供達が親の苦労が分かるのは、20才を過ぎて自分で働き、自分で生活し、家庭を持って親になった時初めて親の気持ちが分かるのではないでしょうか。

 私ももう長い間、砂漠に水を撒いているような気がします。何も成果が上がらないように思い、挫折しそうになった事も何度かあるのですが、その度に見回した砂漠の現状のひどさに、どんなにつらくても誰かが一歩でも半歩でも前進するよう努力しなければ、子供達が救われないし、世界もよくなってはいかない。人間の一人の力は小さな小さなものだけれど、少しずつでも良い事を積み重ねてゆけば、何もなかったはずの砂漠にも緑が育ってくる事もあるのだと思い直して、何十年も教える仕事を続けてきました。

 今までのいろいろな分野の偉い人達が、皆この砂漠に水を撒くような仕事と同じ事を言っています。若い時に読んだ宮澤賢治の「世界全体が幸せにならなければ、個人の幸福はあり得ない」という言葉がずっと私の心の中に残っています。賢治は一人で砂漠に水を撒くような努力をやり過ぎて、とても短い一生を終えてしまいましたが、彼の残した詩と文章は私達の心に砂漠でない緑の豊かな思いを永遠に残してくれました。

 とかく人間は“私一人だけが何かやったって世界を変える事は出来ないよ!”と思い行動が無責任になるのです。まず自分の回りだけでいいから、誰も認めてくれなくてもいいから、温かい心で命のあるかぎり良くしようと努力しましょう。教える立場の人は、いつも砂漠に水を撒く宿命を持っているのではないでしょうか。

 実際問題として、アメリカのアイダホでは雨の降らない広い広い畑一面に人間のカで水を撒いてじゃがいもを作っています。何の仕事でも同じ事が行われているのではないでしょうか。教育の大切さを考え、信念を持ってあきらめないで毎日過ごしていれば、何年か何十年か後には必ずその成果が表れるはずです。そしてその努力のごほうびとして、神様は芸術という素晴らしいものを私達には与えて下さっています。それで疲れた体と心を生き返らせて、また明日から頑張れるのです。

 最後にちょっと想い出して下さい。誰でも昔は欲のない子供で、生徒で、どなたかに水を撒いてもらっていた砂漠だったということです。 【K】(1993.10.21.掲載)




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