良い子 悪い子

投稿日時 2004-11-1 1:25:02 | トピック: コラム


 上の子が幼い時のことです。いわゆるとても良い子でいつもニコニコ、何でも母親の言う事には従いました。「あっ、それさわっちゃだめ」「歩き廻らないで、ここに座ってなさい」松本から新宿までの電車の中でも靴をぬいで「そこに座って窓から外見ましょうね」と言えば、新宿到着までその場所でニコニコしている。よそのオバサマが「へえ、こんな良い子みた事ない!」などとお世辞を言って下さると、母親としてはちょっと鼻が高く、私がうまく育てたのだ! などと不遜な事を思ったりしました。

 ところが幼稚園に行かせず(親の都合)学校に上がると、何か今一つ他の子供よりよく出来ません。その昔、陸上競技で中距離の日本記録を祖父が持っているせいか、運動神経は人一倍よさそうなのに、体育のかけっこでも全然走る気がありません。赤ん坊の時はともかく、2〜3才からは大声を上げて泣くような事もなく、ともかくよく人の言う事をきく子でした。勿論、私の子ですからそんなに頭脳明晰でない事は当然ですが、日常の生活の中でそんなにバカとも思えません。ともかく誰も(大人)が誉める良い子なのです。

 そのうちに学校で「給食を残してはいけない」と言う先生のいう事をきいて、あまり沢山食べない子が無理やり口へつっこみ慢性の消化不良になってしまいました。どうしても治らず、今は亡くなられた整体協会の野口晴哉先生にみていただくと「この子は背骨の発育が悪く、これでは積極性がゼロ。学校では損をしているだろうね」と言って下さり、ハッと目が覚めた思いでした。

 大人の言う事を素直にきくと言う事は、その子の体か気が弱いという事なのだ。今迄よく言う事をきくので、自分にとっては好都合で、良い子だ良い子だと勝手に思い込んでいた自分がおかしい。子供はやっぱり元気ハツラツ、積極性があってどんどんいたずらもする、そしてどんどん勉強も出来る、じゃんじゃん口答えも反抗もする、泣き声だって大きい。これが本物の良い子なのだ!
 人間はついつい、自分に都合のよい事がいい事だと思ってしまう。もっと、よく考え直さなければいけないぞ、とその時考えました。
 2人目の我家の娘は、生まれた時から積極的に反抗精神があり、2才の時何か悪い事をして「ゴメンナサイと言いなさい」と叱ると、畳の上に座ってワーワー泣きながら「ゴメンナサイ」と叫ぶのですが、どう見てもゴメンナサイなんて思ってない、仕方ないから言ってるんだ! と姿全体から、ほとばしりでている反抗の精神が感じられ、あっぱれ我が娘と変に感心したものです。

 体が強く元気が良いほど大声で泣きますし、なかなか言うことはききません。そう言う姿をみたら我が子は素晴らしく強く良い子なんだな、と心の中で祝って下さい。長い間子供達を教えてみて、そういう子供がしっかりした良い演奏をします。

 親や先生は、その積極性を良い事に使えるように、良い所に出るように指導しなければいけません。そうすれば必ず良い結果が出てきます。そして勿論、悪いところにだって、それが出てきて困る事もあるでしょう。それは我慢するべきです。そして、いつも良く解釈して「よくぞここまで反抗出来るようになったね」と親子仲の良い時に誉めてあげるといいでしょう。親が認めてくれたものは自信になります。積極性のなかった我家の息子は、遅ればせながら強くなって、小学校の高学年ではリレーの選手になり、今では何かに夢中になってその話をすると勢いがものすごく、強くなる事を望んだ親が弱くなって、受け答えに辟易しています。

 育つ、育てるという事は時間が必要で、又あせらず待つことが大切です。子供が勢いが良く積極性があればあるほど、大人の思うようにはならないのです。いわゆる、良い子でなく大人に都合の悪い子が本当の良い子なのです。始め弱い子でも、待てば強くなる時期があります。言う事をきかない強い子をどうやって育てるか研究するのが、私達大人の大切な課題でしょう。【K】(1991.10.8.掲載)



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