人間にとって大切な芸術

投稿日時 2008-5-8 1:03:29 | トピック: コラム


 今年(1995年)は阪神大震災に続いて、いろいろ『おそろしい』事件が続いて起こっています。

その中でオウム真理教の問題はいくら宗教とはいえ、ええっ!? と思う事ばかり。教団の代表としてテレビ出演している上祐さんともう一人の人を見ていると、初めのうちはこんなに頭の良いハンサムな青年が・・・???と不思議に思えましたが、回数を重ねて見ていると、いわゆる学校の勉強の出来る『頭』の方はなかなか良いけれど、一人の人間として生きてゆく生活の方の考え方がまるで幼稚で、単純な事に気が付き始めました。
彼らは中学生ぐらいの考えしか持っていない感じがします。

あの方々だけでなく高学歴の人が教団には何人もいるのだそうです。そしてどこかのニュースがこの事について「世界中どこにでもいろいろな変わったオカルト的宗教はあるが、そこには決して高学歴の人はいない」との事です。

 何だか今私達はオウム真理教を特異なもので気違い集団のように考えていますが、落ち着いて考えれば彼らだけに責任があるのではなく、若い輝かしい将来のあるはずの青年たちがなぜ入信していくか、大人たちは考えてみなければいけないのではないでしょうか。

 人間の頭脳は左脳と右脳があると今は医学的にもはっきり分かっています。そして左脳の知識と右脳の情緒が同じように成長してバランスがとれて一人前の人間なのです。ところが今の日本の子供達のおかれている状態はひどいものです。何しろ学校・学問=点数偏重です。子供達は、何が何でも100点を採らなければいけないと叱咤激励されています。

日本の社会がこういう考えで動いていますから社会性のない母親、又は自分が高学歴でおろかな両親達は、ひたすら自分の子供に学校の勉強を押し付け、それが出来る事が立派な人間であると教えこんでいます。

 私が子供だった頃、日本の国は政治的には最悪の方に陥っていましたが、まだまだ個々の子供達は幸せでした。

私は小学校の六年の時に読んだ本がきっかけで、自分が今生きている世界と全然違う世界がある事を知り小説を読む事に夢中になりました。テレビもマンガもなかった時代ですから本を読むのはとても楽しく、学校で授業中に読むなどという悪い事も友達と一緒にやりました。

学校の勉強はあくまでも学生の身分ですから真面目にやり(宿題は少なかった)その後は、家でそれぞれ家事の手伝いや学校以外の芸術やスポーツのお稽古を自由にやっていました。

 今の子供達は可哀想に情緒の面で自由に学ぶ事や、体を使い汗を流して家事を手伝う事もなく、まったく偏って育ってしまっているのではないでしょうか。

 その中で親がしっかりしていて、芸術の勉強をやらせてもらっている子供達は幸せです。子供達は知らず知らず毎日、バッハやモーツァルトと付き合っています。芸術として最高に立派だった人達の作品と接する事で彼らの魂や心に触れ影響されています。そしてその上忍耐と努力で体を使う、何よりもいやな練習を毎日しなければなりません。

これは人間形成の上で素晴らしい事ではありませんか! 欧米では、教養のある人達の間でこれが分かっており、芸術の勉強を男の子にも女の子にも同じように幼い時からやらせています。 

 日本の国も今回のオウム真理教の問題をみて、子供の教育について考え直さなければいけないのではないでしょうか。学校の勉強の出来る若い人達が心の問題を処理できず、不思議だと思われる宗教にその乾きをいやしてもらうために入ってしまう、この現状をみてとても人事とは思えず、深く反省しなければいけないと私は思ってしまいました。 【K】(1995.4.24.掲載)




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