教育 〜子供には教育が必要です!〜

投稿日時 2005-1-25 2:06:40 | トピック: コラム


 教育とは何だろう? なぜ教育は行われるのでしょうか。
 教育と言うと、誰でもすぐに学校での勉強と思いますが、それは教育の一部分でそれがすべてではありません。

◆ 教育とはまず、読み書きを教える事があります。今の世の中では、それを主に学校が受け持っています。そしてそれが出来ることで、自分の考えを紙に書いて人に伝える事ができ、又その反対も可能になります。学校で、国語・算数・理科・社会・外国語などと分けて、そのしくみ、情報、考え方を教えてくれます。

◆ もう一つは人間としての大切な躾、大勢の人で成り立っている社会がうまく動いていける、又その社会の中で上手に生きて行けるような基本のマナーを、人間としての先輩の親や祖父母に教えられるのも大切な教育です。

◆ 又、人間が生きて行くために必要な芸術(音楽・舞踊・絵・彫刻などなど)の表現の方法を教える事も大切な教育です。(ピアノのお稽古はここに入ります)人間の体を鍛える為のスポーツもまた同じでしょう。

◆ もう一つ大切な事は、心と愛情の問題です。これも生まれてからの環境で一つ一つ教わり、育ってゆくはずです。

 さて、ここでよく考えてみましょう。一番大切なのは、一人の人間が持って生まれた特徴を、最も良い方法で引き出し育てることが良い教育だという事です。教育とは言ってもその人間が持っているものを駄目にしてしまうひどい教え方だったり、又は何も教育しないで放っておくと、人間はそのまま宝の持ち腐れで一生花咲くことなく終わってしまうのです。もっと皆さんがこの問題に気付いてほしいのです。放っておいては、何も育たないのです。
 昨年の暮れ、偶然に素晴らしいビデオテープを見せていただきました。それは東大の故・梅津八三教授(神奈川県の梅津美世子先生のご主人)が研究された、研究発表のビデオテープです。二人(女の子と男の子)の三重苦の子供を教育された記録でした。
 三重苦とは、目が見えず、耳が聴こえず、喋れないという事です。有名なヘレンケラー女史でよくご存じの方も大勢おられると思います。

 確か二人とも7才ぐらいで、地方の親元から引き取られ東京の寮に入り、梅津先生と、東大の研究室の優秀な先生方数人に、生活の躾から教えられていました。
 そして先生方は手の平に字を書いて一つ一つ根気良く言葉を教え、その後は声を出す練習でした。子供達はそのお陰で人との対話が出来るようになります。聴こえない子に声を教えるのは至難の技です。口を開ける大きさの紙形を使ったり、のどに触らせてのどの動きを教え、手を口の中に入れさせて空気の振動を感じさせる等々、繰り返し繰り返し根気よく教えて、数ヶ月後に「あー」という声が出せた時の皆さんの喜びよう!
 又、男の子は数学も中学の程度の難しい問題を理解するようになったり、一人歩きは難しいのに練習して歩けるようになります。それはそれは感動的なものでした。

 あの二人の子供達はもし、7才の時にあの梅津先生方のような優秀な教育者に会わなかったら、獣と同じような一生を終わらなければならなかった事は明白な事です。優秀な教育者に会って教育されたから、二人の人間が人間として内に持っていたいろいろの素質を使えるようにしてもらえたのです。(7才で引き取られた時までは、家族が農家で皆、働きに出てしまうので、その間は柱にひもで縛られ、排泄の躾も何も出来なかったそうです)教育されないで放っておいたらどうなったかは障害者ゆえにはっきり誰にでも分かります。

 そうです。人間は子供の時代に良い教育をされなければいけないのです。目が見えて、耳が聴こえて、普通の元気な子であるばっかりに、障害者と反対に周りの大人がいいかげんに教育を考えているのではないでしょうか。教育は、その子の持っているものを大切に、壊さずにのばしてあげられるようにされなければいけないのです。そして子供の時に、根気、忍耐、努力をかなり厳しく躾なければいけません。

 五体満足な良い子に恵まれたばっかりに、うっかりして教育し損なわないよう気を付けましょう。教える側も、普通の子だからと言う事で手を抜かないよう、良い教育をするよう心掛けたいものです。
 1992年の年頭にあたって、私達は襟を正して、愛情と一緒に素晴らしい教育を子供達に与えられるよう決意を新たにしております!【K】(1992.1.27.掲載)



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