才能教育研究会ピアノ科




コラム : “善意のいじめ” と “悪意のいじめ”
投稿者: river 投稿日時: 2008-4-3 2:19:35 (1068 ヒット)

 このところテレビニュースや新聞で毎日のように学校でのいじめ問題を取り上げています。見たり聞いたりしていると本当に悪質ないじめが多いのにびっくりしてしまいます。

 世の中を見ると人間の性格はいじめられるタイプといじめるタイプに分かれているように思えます。良い言い方をすればアクティブな人と受け身の人です。持って生まれた性格ですから、それを変えなさいと言われても変えられるものではありませんが、だからといっていじめても良いという事ではありません。

 子どもの世界ではそれを大人のリーダーが上手に導かなければいけないのです。戦前の学校の事を思い出してみると、週に一回『修身』という時間があり、きちんとした教科書がありました。先生のお話を一方的に聞く時間ですから、少々退屈で時には眠くなってしまった事も覚えています。

勿論この問題が学校の授業だけで解決するとは考えていません。それでもそれは子どもの白紙の頭に『弱い者いじめ』をしてはいけない、『約束は守らなければいけない』等々、例え話を入れて教えられ今の私の性格に大きな影響を与えていると思います。

今の学校にはそういうものはないのでしょうか? 戦後、アメリカが学校の教育に精神的なものをいれてはいけないと指導したことは知っています。でも、もう戦後50年も経っているのです。文部省はもっとしっかり考え直すべきですね。 

 私は“どの子も育つ”という鈴木先生の考え方には、弱い子をいじめないという考えのあることに感動して、40年間この仕事をしています。


 昭和47年頃の事ですが、私の家でも6年生だった娘が登校拒否状態になった事があります。原因は学校の朝体操でした。12月から1月・2月にかけて、松本は早朝ー5℃からー10℃以下によくなります。

お正月が過ぎた三学期の始まりの日、彼女を朝起こしに行くと、目をあけるなり「あゝ、また朝体操!」と言って嘆くのです。あまり毎日言うので「どうして?」と聞きますと、「それは寒いの、もう死にそう」と言います。「なぜ?」って聞くと、「先生が上は白い体操服だけ(下に何か着てはいけない)、下は短いブルマー、そして靴下はソックス(ハイソックスは駄目)という規則を決め、そうしなければいけないの」と言います。

私は聞いたとたんに『そんな!そんなバカな事、凍えて死んでしまうじゃない』と驚きました。人間の体はレディメイドの機械ではないのです。一人一人個人差があるのです。先生はそれに気が付いていないのです。体育専科の先生でしたから、寒さの中で厳しく鍛えてあげようと善意で思ってらしたに違いありません。でも家の娘にとっては、いじめと同じ事だったのです。

 私は考えました。彼女の体格は特別にやせて細く、太っている子どもと比べて皮下脂肪が何もないといってもいい状態でした。これはほっておくと体をこわして大変な事になるかも知れないと思い、私は学校に行って先生にお会いし、事情を話して朝体操や外の朝掃除を免除して下さるようお願いしました。

ところが家に帰ってその話をすると彼女はこう言って怒りました。「ママはいつでも『自分さえよければ良くて、人の事を考えない人間は人間の屑よ』と言ってるじゃない。寒いのは私だけではない、みんななんだよ。みんな死にそう!って言ってるのに私だけが教室に残るなんてそんな事出来ない!」と言い張ります。

 ところが面白い事に人間は自分の命を守ろうとする本能があるのですね。彼女は次の日から熱を出してしまったのです。朝、熱が高いのです。それは一ヶ月以上続きました。結果的に三学期は全部休んでしまいました。こういうのも善意のいじめの結果、起こった事です。


 今日のテレビニュースで、いじめられた事のある子ども達が集まって話し合った会の事を報道していました。「子どもは学校を休んではいけない、という大人の思い込みがあるので子ども達は休めない、そして行っていじめられる、学校を休む事でどんなに沢山のいじめられている子が助かるか分かりません」と、そして休んでも良いという方向にもってゆこうと話し合ったと言っていました。

私は本当にそう! と思いました。そうなれば先生もまわりの大人だって気が付くでしょう。私の家の子の場合、こんなに体が細くてー5℃・ー10℃に置くのは拷問に近い、私は「よし、学校なんて休んでもいい」と考えたのです。そしていつも言いました。「学校休んだって平気よ。バカになる心配はない。私も昔体が弱くて小学校一年の時、一学期全部休んだ事があるのよ」と彼女が安心するように話しました。

 考えてみれば大人になって世の中に出れば社会はなかなか複雑な所で、どんな分野でも自分が正しければ認められる等という事はなく政治的に強い人がリーダーとなり、それが悪意の人だったりするとその下にいる人達はいつも一種の『いじめ』の中で仕事をしなければなりません。言い方を変えれば、その難しさ苦しさを乗り越える事で人間が鍛えられ、一人の社会人として人間形成されてゆくのでしょう。

 それでも子どもの時代は、まだひどいいじめに耐えられるだけの知恵も体力も気力もないのです。まわりの大人がガードしてあげなければいけません。ニュースで聞くいじめ方を見ると子ども達は何も知らないだけに、大人よりももっと残酷です。弱いものいじめは『恥だ』という事と、人はいつも相手を思いやる温かい心が必要だという事を子どもの時に教えなければいけないのではないでしょうか。

大人になってからでは間に合わないのです。 【K】(1995.3.20.掲載)

印刷用ページ このニュースを友達に送る

Copyright © 2004 才能教育研究会 松本支部ピアノ科 : WISS inc.