才能教育研究会ピアノ科




コラム : 鈴木鎮一先生の教え!
投稿者: river 投稿日時: 2011-10-18 3:47:27 (713 ヒット)

 1998年1月26日、鈴木先生は99才の天寿を全うして永遠の眠りにつかれました。

 私が鈴木先生にお目に掛かったのは40数年前の1955年でした。先生は60才になられる年でしたがとてもお元気でした。


戦後、松本の文化人が数人で先生を木曽福島から松本に迎え、才能教育を発足させて10年経っていました。熱心に先生の教えに賛同したヴァイオリンの先生方が大勢松本に集まって来ましたし、先生方・研究生のレッスン、又鈴木クラスの生徒のレッスンと、先生は毎日充実したお忙しい日々を送っておられました。鈴木先生のレッスンはすべて旭町の先生のお宅で行われていました。今、コンサートなどにも使われている才能教育会館はその頃から10年後に出来ました。

 スズキ・メソードの鈴木鎮一先生の『どの子も育つ、育て方一つ』『子どもはその子の優劣ではなく環境を整えてあげる事が一番大切』『音楽は沢山聴いてこそ母国語と同じに自由自在に演奏ができる』という考え方がアメリカにも伝わり、外国からの音楽家・教育家のお客様が数多く訪ねて来られるようになりました。そしてその度に先生のお宅で楽しいコンサートがありました。想えば、ついこの間の事のようです。

 最初の2〜3年、私はほとんど毎日先生のお宅へ通っていました。本当に幸せなことでした。どのレッスンも必ず見学させて戴いていました。そしてお茶の時間には楽しい昔話をして下さったり、食事に連れて行っていただいたり、先生のお宅の裏の空き地でバドミントン大会を開いたり、どこかで(?)卓球をやったり・・・等々。


楽しかった事も忘れられませんが何より大切なものを教えていただいたのが、『基本が大切』『いつも世界最高のものを目指して勉強しなさい』『音楽家を作るための教育ではありません。人間を作るための教育です。』

そうです。 その頃若かった私にとって、何のためにピアノを弾くの? 何のために教えるの? という事が『何のために人間は生きているの』という事とつながっていました。鈴木先生にお会い出来てそのすべてが解決されたのです。その時私にとって楽器はヴァイオリンでなくピアノだったのですが、ピアノを通して同じ事をしようと心に決めました。それから40年、私なりに少しずつ先生の歩まれた道を辿ってきたつもりです。

 4年ほど前の豊橋での研究会で最後の日に、全員の先生方を前にして「皆さん、キラキラ星をもっとしっかり勉強して下さい」とおっしゃいました。

公の集まりでこの言葉が最後のお言葉だと思います。この40年間先生のレッスンは、初歩の子どもでも上級生でも教えられることは同じで、美しい心のこもった音楽の音をどうやって鳴らすか、という事だけを中心に教えられました。音楽の原点はまず自然の美しい音楽の音があって、初めてそこから出発ができるのです。

 「キラキラ星を・・・」はその曲ではなく、いつもこの音楽の原点をキラキラ星を使って勉強することを忘れてはいけません、という先生が私達に残して下さった大切な教えなのです。

 鈴木先生に色々教えて戴いた私達が、責任をもって次の世代にこれを伝えてゆかなければいけないと考えています。鈴木先生、本当にありがとうございました。 【K】(1998.3.3.掲載)

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