何とものすごい競技でしょう! 何となくテレビをつけて、冬のリレハンメルオリンピックのスーパー大回転をしばらく見ていて感激しました。
1位から3位までの時間の差が百分の何秒かの差で争われています。(1位1分32秒53、2位1分32秒61、3位1分32秒93)その上その回転のコースの苛酷な事。えっ! あんな速さ(100キロ以上のスピード)で、あんな急な斜面を回転しながら滑り降りるなんて人間の出来る事じゃないっ! そして百分の何秒の競争!
絶対に転ばないよう柔らかい体でスキーと地面とが接触する時の衝撃を吸収し、バランスを体全体で取り少しの無駄もなく滑るのです。ほんの1センチか2センチスキーの向きが間違っただけで、体のバランスが崩れ時間を無駄に使ってしまいます。ほんのわずかな無駄なカを体に入れる事も許されず、本当に自然の最良のバランスを始終維持しなければなりません。
最良のバランスとは、体の中の重心の一点を守って体に余計な力を入れないことです。そしてこれは何の時でも同じですが、これには滑っている間中それを守れる精神的な強さが必要です。どの選手も命がけで挑戦しています。それですから素晴らしい迫力です。
こういうものを見るたびに、子供達のピアノの弾き方だって全く同じ事なのに、どうしてピアノの先生達はいい加減な事をやっているのだろうと思ってしまいます。
百分の1秒で100キロ以上のスピードのスポーツの世界ではごまかしなど通用しないし、体のやわらかさ自然をいつも守ること、完全に良いバランスを守る事が要求されます。物理学的に完全でなければ、結果が死につながってしまうからです。それですべてが大変分かりやすく、誰でも体をどう使ったら良いか真剣に考え、そしてその方法は一つしかない事が分かるのです。
それに比べるとピアノの奏法はその場で結果が出ないこともあって、「いろいろな奏法があります」とか「その人の好みです」など無責任な事を言って、ピアノを習った子の自由と自然を全部ゆがめてしまっています。結果がスポーツのようにその場ではっきり出ないので分かりにくい事も災いしています。
世の中のお母さん達は、子供達の頭が良くて学校でいつも100点をとれる事を願っていますが人間はどんなに頭が良くても頭脳だけでは生きていかれません。
この世で私達は生まれる時、神様から体を与えられその体と死ぬ迄付き合わなければなりません。それですから、その体をどういう風に使うかという事はとてもとても大切な問題です。
音楽のセンスは生まれる時に神様から戴いていますし、その上スズキ・メソードを勉強している両親は良い音楽環境を作って下さいますから、子供達はいよいよ音楽を感じられるようになり、音楽的という問題については何の心配もいりませんが、体の使い方だけは先生・生徒ともに良く研究して自然の素晴らしい使い方にしましょう。子供の時に良いものを身につけなければいけないのです。
体の問題を大切にし、姿勢、指の使い方、体の目方をどう使って音楽の音を作れるかスポーツの世界に負けないよう研究しましょう。 【K】(1994.3.10.掲載)