ピアノの勉強でも何か他の事でも同じですが、それを習い始めようとする時、レッスンを見学するのはとても大切なファーストステップです。
親は「さぁ、ピアノのレッスンを始める」となると何がなんでも早速ピアノの前に座って弾き方を教えていただこうとします。でも急いではいけません。赤ん坊が母国語を覚える時の事を考えてみて下さい。
赤ちゃんは生まれたその日から、少なくとも一年間自分は喋らずに、周りの人達の話すのを見たり聞いたりして暮らします。それで喋り始めた時に、とても上達するのが早いのです。母国語だけではありません。すべて生活の中で行われている事は生まれた日から見学し、見よう見まねで赤ん坊はいろいろな事を覚えます。
ピアノを習い始める幼い子どもは、レッスンの場を見る事も初めてですし、習うという事がどういう事かも分かっていません。それで最低一ヶ月は見学する事が必要でしょう。私のクラスではとても感心な親と子で六ヶ月間見学した方もいます。
私は、習い始める子どもが三才〜四才でも、もっと大きくても、必ず第一段階として同じ年頃の子どものレッスンを見学するようにしています。そして親にもこれがいかに大切か話して納得していただいています。私は長年そうして幼い子どもを指導してきましたので、見学の大切さを充分知っていると思い込んでいました。
ところが、その私がびっくり! する事を見せられたのです。
私は40年前から松本で指導を始め、とても忙しかったのでわが子には申し訳ないほど何もしてやれませんでした。ところが長男が結婚し、子どもが生まれ、三才になると「Yちゃんのピアノレッスンを始めたいんです」と言ってきました。私の方が「えっ? 何でそんなに熱心なの?」と思ったのですが「それならともかく教室に一度来てごらん」と言いました。
決めた日に彼はYちゃんを連れて教室に来ました。ところがそこは身内でわがまま。「今日はママも学校の仕事で来れない。私もこれから高遠まで行く」と言って三才のYちゃん一人置いて行ってしまいました。
私は本当に代々しょうがない親だ。これも私の教育が悪かったので仕方ないと思いながら、教室にいた研究生に「お願い、騒ぐと困るから折り紙して遊ばせていてね」と頼み、私は他の子どものレッスンを始めました。
まずごあいさつの練習からの生徒が三人でした。ほとんど親に説明する時間が長く三人とも実際にレッスンした時間はわずかでした。その後は二人ほど上級生の生徒のレッスンでした。そしてその日は終わり、Yちゃんを連れて私の松本の家に帰りました。彼女は夕飯を食べてから、ディズニーのテレビを見たり遊んだりで疲れて寝てしまいました。
ところが次の日、朝ごはんの済んだあとで、私の家のピアノの部屋につれて行くと、いきなり驚く事が始まりました。いつもとは違った顔で嬉しそうに「あっ、ピアノ!」と言い、走りよったと思うと椅子の前で『ぴょこん』とおじぎをしてそれから椅子によじ登るのです。私はびっくりしました。
この三才の子がただレッスン場の部屋に座っていただけで、それもレッスンの方になど一回だって注意を払っていなかったのに・・・。研究生のお姉さんが上手に相手をしてくれたので、もう夢中で遊んでいました。
だんだん大きい声で話しをするので「うるさい、静かに」と私が注意したほどです。私は『やっぱり三才って駄目ね!これでは全然見学なんて出来ないわ』と思っていたのにこの椅子の前で私が頼んでいるのではないのに『ぴょこん』とおじぎをするのは・・・・・。
やっぱりYちゃんは昨日のレッスンをあの部屋にいただけですべて見て聴いて覚えてしまったのです!! その上、今まではピアノに触る時は、つかむようにしてただ音を出していたのに、五本の指をバラバラ動かして上手な人の弾くような手つきで弾くのです!彼女は練習したわけでも私に教えられたわけでもありません。昨日いつの間にか見て覚えたのです。
やっぱり子どもはすごい! 大人は一生懸命覚えよう、習おうと思って注意して見ているのにほんの少ししか受け取れず、それと比べ子ども達は全然他のことを夢中でやっていながら、そこで行われた事を全部受け取ってしまいます。ほとんど大人から見ると奇跡です。
もう皆さんお分かりでしょう。見ていなくても聴いていなくても関心がちっともないみたいでも、子ども達にはまわりの大人が良い環境を作ってあげれば、もうOK! 全部そこにあるものは受け取ってしまうのです。
さしあたって音楽の見学は、家庭で名演奏家のCDやテープを、小さい音でも良いから始終鳴らして聴くこと、またビデオテープも同じようにすると聴くだけでなく名演奏家の奏法を知らないうちに身に付けられます。
教室では自分のレッスンだけでなく自分より少し上級生のレッスンを見学すること。またコンサートは一流の演奏家の良いコンサートを選んで連れて行くべきです。
要するに子ども達は生まれた日から、自分のまわりのものをすべて見学して成長しているのです。【K】(1996.6.25.掲載)