イギリスのかつての名宰相、チャーチルは絵を画きました。習う暇はなく、彼の勉強法は名画を模写する事だったそうです。ドイツのシュミット首相は、ピアノが弾けて、確かモーツァルトのコンチェルトをレコードに録音しています。専門的に言えば、決して上手ではないそうです。イギリスのヒース首相は、ピアノが上手でオーケストラの指揮も出来ました。
政治家だけではありません、物理学者のアインシュタイン博士は、ヴァイオリンもピアノも弾けて、いつも家庭でホームコンサートを開いていらしたと言うのは、鈴木先生からよく伺った話です。(鈴木先生がお若くしてベルリンにいらした頃、そのホームコンサートに呼ばれていらっしゃるのです)
誰でも知っている、シュバイツァー博士はオルガンの演奏で世界の第一人者、そのうえ医学博士で、アフリカのガボンで現地の進んでいない医療のため尽くされた事はあまりにも有名です。バッハの研究も素晴らしく、また神学の本も沢山書かれています。
世界中の文明国をみると、文明国とは人間を大切に、人間にとって一番大切な芸術の世界、芸術の教育を重んじています。ユダヤ人の教養のある家庭では、子供が生まれたら母親はまずその子の音楽教育をしなければいけない義務があると、大昔から決まっているのだそうです。クラシックの世界で、素晴らしい演奏家の中にユダヤ人がとても多いので、『なぜだろう?』と思っていたらやはり原因はあったのです。ユダヤ人は大昔から才能教育法と同じ事をやっていたのです。
松本で子供達を教えていてつくづく感じる事は、日本の今の社会は、学校の勉強ということに重きが置かれ、何が何でも学校の試験で良い点を取らなければ・・・・という考えがはびこっています。確かに、明治時代に作られた文部省の学校教育の制度は良いものでした。今でも日本には、文盲がいない! これは教育の成功です。親が教えなければならない読み書きを、親に代わって教えて下さる学校とは本当に有り難いものです。
ところがあまりの有り難さに感激して、だんだん学校がすべてのような気がしてしまっているのが、今の日本の社会です。素晴らしい社会をつくるには、芸術の価値観の高い人々が集まって作るべきです。
芸術は人間にとって、とても大切です。なぜかというと、それは精神世界の中のものだからです。見えない世界、即ち感性の問題なので分かりにくく、つい簡単に分かる点数や、物にこだわってしまうのです。これから日本の国が世界をリードする先頭の一人となるのだったら、目に見えるものだけでなく、もっともっと芸術の教育を大切にしなければいけません。
他の文明国はそれを大切にしています。この4月に私が出かけた、オーストラリアでも、芸術の教育はとても大切にされていて、大勢の子供達がスズキメソードでヴァイオリン・ピアノ・チェロ・フルートを習っています。そしてレッスンは、学校の授業中に先生の許可を得て、授業を休んで習いに行っています。「学校の授業よりも難しい、大切な芸術の勉強をしに行くのだから、授業を休んでも当然だ」という考え方です。
日本では考えられない事です。芸術に関しては、日本は後進国なのでしょうか? 国がやってくれないのでしたら、個々の心ある人々が、力を合わせてやるより仕方がありません。皆さん、子供達のために頑張りましょう!【K】(1992.5.23.掲載)