才能教育研究会ピアノ科




コラム : 無心
投稿者: river 投稿日時: 2009-8-30 3:31:07 (994 ヒット)


 7月25日の朝日新聞の一面を見ると、[柔道・恵本「金」一号]とありました。

人ごとみたいで申し訳ないのですが、オリンピック関係の人達(選手・報道・その他)あんなに一生懸命やっているのに、金メダルひとつも無いなんて事になったらどうするんだろう? 等々と思っていたので、これで良かった! 無いというのと、ひとつでも有るというのは大きな違いだからもう心配しないでスポーツを楽しめばいい、と思いながらよく見ると金一号の横に『私は強くないので重圧なかった』と大きく書いてあります。一瞬『ほんと?』と思い、次の一瞬この人は他の人を思いやれる優しい人なんだなと思いました。

 それで興味が起こり、21面のアトランタ五輪の記事「柔道は私の青春そのもの」を読みました。

 彼女は北海道旭川の出身で柔道を高校から始め、学校から家に帰ると試験勉強はせず、柔道のビデオを夜の12時まで見ていたそうです。卒業後は住友海上火災に入社し、柔道部の二期生になり良いコーチに恵まれ五輪出場になったのです。

「オリンピックは魔物ではなく、すごい神様がいた」
「初戦のことしか考えていなかった。優勝なんて夢みたい。信じられない」
「今年の正月、書き初めをしたとき『無心』と書いた。その言葉の通り無心で臨んだ」

もっといろいろ書いてある長い記事でしたが、私は読んでいるうちに感動しました。無心になれる! それは素晴らしい瞬間なのです。

 簡単に『無心』と言いますが、無心になるのはとてもとても難しい事です。どうしてかというと、人間は大人になると知識が豊富になり頭でよく考えるようになり、欲が出てきます。もっと良くなろうとか、負けないよう頑張ろうとか、あそこをこうしよう、あゝしようでつい一生懸命になり過ぎると、欲の塊になり体に力が入ってしまいます。

 体に余分な力が入ると、体は堅く緊張して自分の思うように動けなくなります。それでもそのまま無理に動かしていると、ピアニストの場合腱鞘炎になって腕の筋肉、筋が痛くなってしまいます。スポーツでも同じ事でしょう。


 無心とは、体は生理的に100%リラックスして力をゼロにし自然体でいて、精神的には100%集中する事です。この体の生理と精神のやらなければいけないことが、正反対の仕事のためこれを同時に行うことが至難の業なのです。

 スポーツでもピアノの演奏でも体を使うのは同じ事です。ピアノを演奏しながら、ついつい一生懸命上手に弾こうと考えると体に力を入れて堅くなってしまうのです。力を抜こうとすると一緒に集中力が抜けてしまうという、やっかいな事になります。

 ところが子どもの時代には、いやいや練習するのと、大人のような欲がないのがとても良く作用して体に無駄な力が入りません。そして演奏会の時のように普段と違う精神が高揚できる場があると、自然体で精神は集中するので子どもは大家のような素晴らしい演奏が出来ます。子どもの演奏に感動する事があるのは、彼等は無心で弾く事が出来るからです。

 そして困ったことに無心というのは一度出来たら、次からいつも出来るものではありません。いつも心がけて体が自然体になれるように、精神は気合いが入るように、毎日毎日努力して練習を積み重ねないと出来ません。何百回〜何千回と厳しい努力をして無心になり、良い仕事をして、初めてその道の大家になれるのではないでしょうか。

 無心とは『何も無い』という言葉ですが、不思議な事にそこに入れると総てのものがあって、何でも可能になれるのです。分かりやすく言うと、努力して無心になると初めて天は人を助けてくれます。小さな人間一人の力でなく神の力、大自然の力を使わせてもらえるのです。

天はとても厳しく、少しでも人間の無駄な力が入っている間は助けてくれません。柔道の恵本さんが「オリンピックには、すごい神様がいた」というのはその実感でしょう。

無心になるとその人の持っているすべての良さを表現できます。音楽の世界でも大家はこの境地に入れた人で、人々を感動させる素晴らしい演奏が出来るのです。

 無心になる練習を毎日少しずつで良いから一生懸命やりましょう。【K】(1996.8.2.掲載)

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