8月9日〜8月14日まで韓国のソウル市で開催された第11回スズキの国際大会に参加しました。世界中からの参加で、大勢の人が集まってなかなか盛会でした。
私にとっては、こういう形の会(世界各地から出掛けて来た生徒の集まり)で教えるのは数年ぶりです。そして、その生徒達の弾くのを聴いて又々驚きました。世界中に広まりすぎたともいえるスズキピアノメソードが、名前ばかりで実の方がまったく何もないひどい状態だからです。
世界中で今度の大会と同じようなやり方で、夏期学校(サマースクール)のようなものが行われています。私は20年前からアメリカ・カナダ等のそのサマースクールに招かれ教えてみて、つくづく考えさせられました。それは一人の人間としての力の無さです。
子供のレッスンを受け持って教えてみると、どこの国の子でも子供は本当に素晴らしく、感性を使うので“言葉が通じない”などという障害を通り越して、とっても素直に受け取ってくれます。どんなひどいテクニックの子もそれなりに、私のいう事を理解して悪い所を直してくれます。
初めのうちはそれに感激していましたが、回を重ねるうちに考え込んでしまいました。今このレッスンのたった15分間に、子供達はこんなに素晴らしく分かってくれるが、このサマースクールが済んで家に戻ればまた一年中このひどいテクニックにしてしまった同じ先生に習わなければいけないのだ。どんな良い子でも一年間に15分間良いレッスンをしてもらっても、それはほんの一瞬の水のアワのようなものでこの子に何の影響も与える事は出来ない。それと同じように私の努力も空しいだけ。15分で相手を変えるだけの力が私にはない! それを毎回毎年繰り返すことは私の時間とエネルギーの無駄ではないか!
それで考え抜いたあげく10数年前にアメリカで宣言しました。「私はサマースクールのような形のものではもう教えない。私は本当に熱心なスズキの心あるピアノの先生だけを教える為だったらアメリカに来てもいい。先生が良い先生に育ってくれなければ、大勢の生徒を救うことは出来ない。そして本当のピアノ音楽の教育に大切なのは、ピアノの音・音楽の音ですから研究会の時は絶対に良いピアノを2台揃えること。この条件を満たして下されば先生方を対象に教えましょう」と提案しました。
熱心な良い先生方が本当に真剣にそれを考え、以後、外国での私の研究会はそれが実行されています。そしてそれはもう10数年になり、それに参加して勉強している先生方の生徒さん達が非常に良く育ってきています。
今回の韓国の大会もそうでしたが、大きい会は必ず会場に学校を使います。バイオリンは各自、自分の楽器で弾けるのでよいのですが、ピアノの宿命で、その場にあるピアノを使わなければなりません。アメリカでも日本でも(音楽学校の生徒達に聞くと)どこでも学校のピアノはひどい状態が普通です。
ピアノを本当に弾ける人でない限り、グランドピアノが20台あるとか、それがスタンウェイだとか聞くと、もうそれで充分と考えてしまうのですが音楽の音を勉強するには、そのピアノがよく手入れ(調律・調整・整音)されていなければいけません。
久し振りにひどいピアノで生徒を教えて、まだまだピアノの教育の世界の貧しさを感じました。生徒もそうです。世界各地から来た生徒が曲だけは進んで難しいものを弾いていたり、教科書の曲を順番に習わず勝手にとばして進めているので合奏レッスンの時「この曲弾きましょう」と言うと、習っていない。ピアノ奏法の基本のテクニックも何も習っていない。音楽の音なんて、まったく考えた事も耳をすまして聴いた事もない状態で、心が痛みました。だってこの子供達には何の罪もないからです。
こんな中で、とても嬉しかった事は、きちんと基本を勉強して参加した日本の生徒達が、良い演奏をしてくれたこと。3才から松本でピアノを勉強し、今、桐朋音楽大学の1年生に在学中の松山玲奈さんが、ガラコンサートに出演し、オーケストラの伴奏で、ショパンのピアノコンチェルト ヘ短調 作品21を弾きました。とても美しい音楽の音で、落ち着いて上品な、良い音楽を演奏しました。やはり幼い時から、音に気を付け音を良く聴いて勉強した人が良い音大に行き、勉強するとこんなに素晴らしくなるのだ! とつくづく嬉しくなりました。
もう一人のグリーグのコンチェルトを弾いた生徒が、とても良くさらってあるのに、音が汚くガラガラと弾いたのと対照的でした。でも音の良し悪しを教えられてない人は、この違いを意外と分からないのです。恐ろしい騒音で熱演すると、けっこう大勢の人が上手ですね! と言うのを何回も聞いています。
でも心ある先生方・ご両親、音楽の勉強をするのですから、どうか本当の事が分かる子供達を育てましょう。星の王子様を書いたサンテクジュペリが“本当の事を分かる人は少ない”といっているのがつくづく分かります。【K】(1993.8.26.掲載)