才能教育研究会ピアノ科




コラム : 音楽の財産
投稿者: river 投稿日時: 2008-5-31 1:56:05 (988 ヒット)

 名演奏家のコンサートに子供達を連れて行きましょう。

 人間は生まれた時から、見たもの聴いたもの接したものを全部、感性で受け取って頭の中の倉庫に入れ、それを必要な時に取り出して使い生きていきます。丁度コンピューターのフロッピーの中に情報をインプットして、使いたい時使えるのとまったく同じシステムです。子供の時代はまだ知識が発達していないので、まわり中のものをすべて感性を通して体や心の中に入れてしまうのです。

 人は、生まれてから20才位までの間に受け取ったものを使って一生、生きて行くよう運命づけされていると思えてなりません。それですから、子供の時に見たもの聴いたもの体で経験した事がその一人の人間の目に見えない大切な財産となります。

 財産と言うと人はすぐお金・土地・建物等々を考えてしまいます。しかしお金や物は本当の意味でその人の財産ではありません。そしてそれは何か事件が起こると一夜にして失ってしまうかもしれないからとても危険なものです。

 それと比べ、良い音楽を聴いたり美しい景色を見たり美味しいものを味わったり自分の体で経験したものと、努力して身につけた能力は本当の財産です。そしてそれはどんな事が起こっても、その人が生きている限り無くなる事はありません。一生死ぬまでその人のものです。

 私は第二次世界大戦に日本が敗れ終戦を迎えた時の経験が忘れられません。その時私は18才でした。私は子供の時からお正月に戴いたお年玉のお金を一生懸命郵便局に貯金して『三百円』(戦前はかなりの大金)持っていました。それが新円切り替え等々で、何の値打ちもない300円になってしまったのです。これは私にとって、すごいショックでした。

 それに比べると、子供の時一ヶ月に何回か母に連れられて行った、クラシックコンサートは、何も形としては残っていないのですが、今の私が持っている音楽のセンスはそれで作られたものであり、私にとって大変重要な財産になったのだと思います。

 鈴木先生も昔よく話して下さいました。「八年間ドイツにいた間、シーズンオフを除いてあとはほとんど毎日、素晴らしい名演奏家のコンサートを聴きに行きました。私の持っている音楽性はあの時聴いたコンサートのお陰です」

 お母さん方が「先生、せっかく高い切符を買ってコンサートに行っても、ちっとも落ち着いて聴いてないのです・・・」又は「すぐ寝てしまう」等々、苦情を言われます。でも違うのです。聴いているつもりの大人より、聴いてないみたいな子供の方がよほどよく聴いているのです。

 あるお母さんの話です。「家の子は、コンサートに行ってもちっとも落ち着いて聴いてない。と思っていたのですが、昨日家で、ラジオのスイッチを入れたらオーケストラの音楽が聞こえてきました。その瞬間子供が、“お母さん、これこの間のコンサートで聴いた曲だ!”って言ったのです。私は数分間聴いてから、やっとそれがドボルザークの新世界って分かったんです。先生のおっしゃる通りですね。子供ってすごいですね、確か聴いてないみたいだったのに・・・・」

 往年の名指揮者トスカニーニが「私は、4才の時に親に連れて行ってもらったコンサートで、ベルディを初めて聴いた。それは私とベルディの最初の出会いだった。今でも、その時の感動が忘れられない」と色々な人に話したそうです。でも彼が、4才の時では、感動してもそれを言葉で話す事は出来なかったはずです。それで子供は聴いていないと誤解されるのです。

 子供達は演奏家が素晴らしくとても感動のある演奏をすると静かに聴いています。あまり上手でない演奏の時は「帰ろう」と言い出す幼稚園生もいます。ただ理由を言う事が出来ないので知識だけで聴いている大人に「静かにしなさい」等と馬鹿にされたりしますが、子供達は大人よりずっとよく分かっていて、よく聴いているのです。

 私はお母さん達に話します。どんなに高い切符でも銀行からお金をおろしてきても名演奏家のコンサートには、連れて行ってあげて下さい。それはあなたのお子さんの身に付く、本当の財産になるのですから。 【K】(1995.5.22.掲載)

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