昭和30年に東京から松本へ移って来て、初めの一年間毎日鈴木鎮一先生のヴァイオリンのレッスンを見学しました。ヴァイオリンの生徒達を見ていると、幼い子でも上級生でもヴァイオリンを弾く時に決して楽譜を見ません。それは私にとって、とても不思議な事でした。
私は6才でピアノを習い始め、レッスンの時はいつでもピアノの譜面台に楽譜を置き、先生は「楽譜を見ながら弾きなさい」と言いました。そして何回かのレッスンの後、「この曲は一通り弾けるようになったから、次のレッスンまでに暗譜していらっしゃい」と覚えることを宿題に出され「さあ、覚えなければ!」と一生懸命暗譜した事を覚えています。
6才からずっとこのやり方で勉強したので、ほとんどレッスンの時は楽譜を見て弾いていました。楽譜を見ないで弾けるヴァイオリンってやさしいのかな? 楽譜なしで沢山レコードを聴かせて幼い子にどうやって教えるのかな? ・・・と いろいろ疑問でした。
そしてピアノも『同じように出来るだろうか?』と考え始めました。ピアノは両手を使っているし単旋律ではないから無理ではないかな?・・・等々と思いながらもやってみました。今は当たり前の事ですが、最初はとても楽譜なしで弾くなんて信じられない事でした。
少しずつでしたが弾き始める前に沢山その曲を聴いて、一つずつ音で覚えてもらうと、どうでしょう! 楽譜を見ながら弾くよりずっとずっと楽に子ども達はその曲を弾きます。一巻の曲でも、Mozartのソナタでもそれが出来るではありませんか! そして、その上とても音楽的に弾けるのです。
私にとっては「耳で音を聴いて、それを再現する」方法は考えられない事でした。「目で楽譜を見て、それを音にする」という作業をずっとずっと初めからやらされていたからです。
初めにピアノを習う時、耳で音を聴いてそれを再現する方法で勉強した子ども達には『暗譜』という仕事がありません。曲を始めから終わりまで弾ける時にはもう覚えているのですから・・・
昭和30年から40年近く私の教えた生徒は、全員それが出来ます。だい分前でしたが、小学校卒業記念の学校の音楽会で歌の伴奏を頼まれた生徒がいました。その曲は4つか5つの曲がつながっている組曲のような長い曲でした。
本番のコンサートの日に音楽の先生が伴奏をするその生徒に「譜めくりの人をつけるからね」と言われ「私、楽譜見ないで弾けるからいらない」と言うと「お前、忘れるってことがあるだろう。お願いだから楽譜見て弾いてくれ」と言われ、彼女は不服で私にこう言うのです。「先生、どうやって忘れるの?」
その音楽の先生はきっと私と同じように音楽の勉強を始めた時、「目で楽譜を見て、それを音にする」方法を身につけてしまったのでしょう。子ども達は最初に良い勉強の方法をとっていれば素晴らしい能力を発揮します。
子ども達を教えている私ですが情けないことに、近頃老眼になって目で楽譜を見た時、見間違えるとその間違った音を弾いてしまいます。音楽の作りで考えればそんな音あるはずないのに、目で見たものを音にしてしまう習慣がとれない悲しさを味わっています。そして何か曲を弾く時、遠い昔いつも心配した、楽譜がないと途中で忘れそう! という気が今でも思い出されてしまいます。
初体験はとても大切なのですね。自然な正しい方法で初めから良い事を覚えれば、死ぬまでそれは身について役に立つのです。最初が間違うと、それもしっかり身について一生苦しまなければなりません。(次号につづく)【K】(1996.9.25.掲載)