一人の人間の値打ちを今、日本ではどうやって決めているのでしょう?
まず子どもの時代ですが どう考えてみても学校のテストの成績で決めていると思われます。
日本の国では子どもは生まれて6才になると学校へ行って、読み書きを習う事が出来るようになっています。江戸時代が終わって明治天皇の時代に入った時、国民全員が文盲にならないよう学校の制度が作られたと聞いています。
字が読めて次第に高度な文章も理解出来るようになる、そして、自分の考えを書くことも出来る・・・ これは素晴らしい事です。住んでいる世界も広がります。お互い人と人との交流も深まるでしょう。自分の研究を世界中の多くの人に伝える事も出来ます。
学校で読み書きを習うのはこういう事のためだと思うのですが、いつの間にかテストの点が良い人だけが立派な人間だ・・・という風潮が出来上がってしまい、子ども達はそれに苦しめられ又、歪められているような気がしてなりません。
人には生まれた時、天からいただいた性格の特長があります。記憶力の得意な人は学校のテストにはとても有利でしょう。思考力の強い人は頭の中でいろいろ考えて、ものを想う事が得意です。
発明王と言われたエジソンは小学生の頃、授業時間中は大人になって発明した色々のものを空想していて、学校の勉強は何も聞いていなかったので成績はビリで、先生から「お前の頭はくさっている」と言われたそうです。
超有名だったピアニストのホロヴィッツも小学生の時、学校の成績はビリでした。彼はその頃からいつも頭の中は音楽で一杯で、学校の勉強は何もしなかったと言っています。それでもエジソン、ホロヴィッツはそれぞれの分野で人々に大きな影響を与え、偉大な贈り物をしてくれた素晴らしい人々です。
どうやら東洋では(日本・韓国・中国)孔子様の儒教の影響もあって、学校で良い成績をとり、良い大学へ入って官吏になるのが親孝行という思想がどうしても根底にあるような気がします。
昨年の暮れ、面白い経験をしました。それは、アメリカの高校入学のための推薦状を書いてほしいと頼まれたことです。アメリカの方々とお付き合いを始めてもう30年近くなりますので、学校の入学に関することはいろいろ聞いていました。でも実際に私がその入試に関わって推薦状を書いたのは初めてでした。
その生徒はアメリカ・ユタ州の子どもですが、北海道の札幌で7才から今中学2年生まで日本の学校に通った男の子です。ピアノはずっと私に習いました。日本語の勉強も充分出来たので、今年の9月からアメリカ東部のボストン市等の全寮制の高校へ入学するための入学手続きの推薦状です。
頼まれた時、母親のキャロルからこう言われました。「貴女の書いて下さる推薦状が一番重要なのです」私は一寸怪訝に思いました。勿論、芸術は大切ですしアメリカでは芸術の価値観が高いのも知っています。それでも日本人のピアノの先生が書くものがなぜそんなに重要か?
彼女はその推薦状の書類を送ってきました。それは四校ほどのものでしたが、どれも実に細かい質問が書かれています。その子どもがピアノの勉強を通してどういうことを学んだか? どういう経験をしたか、その子どもを教えていてその音楽に対するものの考え方、又行動等どう思うか? 等々・・・
私はアメリカの良い学校の先生方の考え方はピアノを習う事がどんなに大切で、それで人間がどうなるかを知っている人々だ! と感じました。
丁度その頃、松本へ見学に来ていた数人のアメリカの先生方に聞いてみましたら、良い高校、良い大学に出願する場合(念のためアメリカでは入学試験はない)学業の成績は三年間全部のもので、出願してくる生徒はみな良い成績なのでそれでは決められない。では何で決めるか?
それはその子どもが学校の勉強以外に何をやったか、何が出来るかで決まるのだそうです。10台のピアノコンサートに出演した、Saturday Evening Concert で弾いた、夏休みにアメリカへ出掛けてホームステイして一緒にピアノの勉強をしたとか、又ボランティアで老人ホームのお手伝いを毎週やった等々、学校以外のことがとても高く評価されるのだそうです。(日本では何もこんなことは問題にならない!)
学校の成績だけでなく、このように子どもの時から広い世間を体験し、高い教養に接し良いものを身につけ、人間形成が立派に出来た人を優先的に良い高校・大学に入れるようにするべきです。
本当の意味で人間の値打ちを評価する制度がそろそろ日本にも生まれてきてほしいものです。 【K】(1997.1.27.掲載)