今世紀初め、各分野で活躍した人々の芸術文化の水準の高さに驚きます。
先月号に載せた読書室の『娘への絵手紙』の書評を書くために、いろいろな事を調べました。 幸田 露伴・斎藤 茂吉は良く知っていましたが、『寺田 寅彦』のことで少し不確かな事があったのでその辺にあった岡 潔(数学者)の本を見ると、その中に寺田 寅彦(物理学者・文学者)中谷 宇吉郎(雪の結晶の研究で有名)吉川 英治(小説家)の事が書かれていました。 皆さんそれぞれにお付き合いがあって、楽しくそれぞれの芸術を楽しんでおられます。
今世紀の初め及び江戸時代は、多様性があり芸術文化は勿論、何の分野でも名人・達人がいたという話を近頃とても耳にしたり、また本で読んだりするのですが、この岡 潔氏の『春宵十話』を読んでも、江戸時代の文化を引き継いだ明治初期の人が素晴らしい多様性のあった事が、手に取るように分かります。 岩波書店社長・会長を務められた小林 勇氏の書かれた『娘への絵手紙』に娘さんの小松美沙子さんが書かれている文章を読んでも同じです。
その時代の超一流の文化人が皆それぞれにつながりがあり、又そのつながりが本業よりもそれぞれの方々の持っておられた芸術の世界でつながっている事に驚きます。
皆さん本業は理学部で数学や雪の結晶の研究であったり、医者で文豪(森 鴎外)同じく医者で歌人(斎藤 茂吉)のように必ず芸術を持って文章を書き、絵も描き、音楽をたしなむ素晴らしい人間が沢山いたのです。 それなのに戦後(1945年以後)何でいつの間にか左脳を使う学校の勉強のテストの点数だけで人間の値打ちを決めるようになってしまったのでしょう。
テストで100点さえ採ればそれで人間の教育は完成されたと錯覚し、とても良い子とまわり中から誉められ、人間にとって大切な他のことを何も教えられないまま『私は偉い人だ』とずっと勘違いして育った人間を作ってしまいました。
その結果が、近頃の大蔵省の汚職事件に表れているではありませんか。すぐ賄賂を受け取り、それが日常茶飯事になるようなモラルのない人間、また100点を採る事だけが良いとなっているためそれに乗れなかった子ども達が駄目人間と言われすぐにキレてナイフを振り回したり、何だかひどく情けない人間の集まりになってしまっているようです。
人間の教育は、そんな点数を採るロボットのような人間を作るように簡単な事ではありません。心と魂を持った人間として、礼儀・約束を守る・嘘をつかない等々から始まって、芸術文化・スポーツ・家庭生活の助け合い・社会でのルール、また心の問題すべてが教育されなければいけないのです。そしてそれぞれ自分に合ったものを誇りとして伸ばせるような教育が必要です。
江戸時代・明治時代の頃の考え方に学んで、もう一度この辺で子どもの教育について考え直すべきではないでしょうか。高い芸術を学んでこそ情緒豊かな人に対する思いやりのある人間が育ち、これから始まる21世紀をもう一度昔のように人間性豊かな素晴らしいものにすることが出来ると思います。 【K】(1998.4.1.掲載)