才能教育研究会ピアノ科




コラム : 便利と自然とどちらが大切?
投稿者: river 投稿日時: 2011-5-8 1:53:42 (650 ヒット)


 私は今から40年近く前(1955年)に松本へ移り住みました。そして鈴木鎮一先生の元で今迄の音楽教育とは全然違う指導法を勉強するようになって、いろいろ考えるようになりました。

 そして気が付いたのは、ピアノを勉強している人は他のどんな楽器より大勢います。そして日本は勿論、ヨーロッパ、アメリカには良い音楽学校がたくさんあり、優秀な生徒が一生懸命勉強しているはずです。その上『ピアノ奏法』なる立派な本はそこらじゅうで出版されています。

 それなのにどこを見回しても正確に間違えないで弾く人は沢山いるのですが、名人上手といわれるようなピアニストはなかなかいません。世界中で考えても名人級の人は10本の指で数えるほどしかいないのではないでしょうか? いくら何でも少なすぎます。

今世紀の初めにはもっと沢山の名ピアニストがいました。(ラフマニノフ・ホフマン・パッハマン・シュナーベル・ランドフスカ・コルトー・バックハウス・ギーゼキング・ハスキル・ゼルキン・ホロヴィッツ・グールド・ルービンシュタイン・ケンプ・グルダ等々)ピアノだけではありません。音楽のどの分野にも名人上手は大勢いたような気がします。なぜ昔は大勢いて今は少ないのでしょう?

 20世紀に入って物質文明がどんどん進みました。日本も太平洋戦争に負けた後、経済が成功したお陰で戦争前よりいつの間にか何でも考えられないほど便利になりました私はこの便利が問題なのだと思うのです。便利に飛びつくたび、その便利のお陰で私達は何かをどんどん失っているのではないでしょうか。

 超特急の鉄道や速く走れる高性能の自動車、高速道路を使うことで目的地に楽に行ける代わりに、自分の足で歩くことを失い、歩いていれば観察できる道端のいろいろのものを見て感じる事も出来なくなってしまいました。

 又学校も立派になり昔の寺子屋のように読み書きを覚えるだけでなくいろいろやって下さるので、親にとって学校は便利なものです。それでも満足できなくなりもっと勉強させてくれる塾まで出来ています。


 食べる物でも同じことです。スーパーに行けば、お湯を入れるだけ、電子レンジで温めるだけの便利な食品が並んでいます。その上鍋物セット(野菜を自分で洗ったり切ったりしないでも食べられてしまうもの)等々・・・ 近頃の人間は怠け者になったのか? 忙しすぎるのか? 考えてしまいます。

子ども達にとって、母親が手間暇かけて心を込めてつくる愛情の入った食べ物を食べる機会を失っています。そして便利なものには何か自然でないものが入っているような気がしてなりません。 誰か日本中の人間を駄目にしようとしている、回し者がいるのかも知れません。

 もっともっと沢山あるのですが、たった三つの例をあげてみました。これだけで考えても、この便利な物に人間の体は振り回されて自然と自由を失っています。

 人間は本来、のびのびとこの美しい地球の自然の中で生きるのが一番幸せなのです。無駄な力を肩に入れず、いつも落ち着いて呼吸をし、慌てず騒がず青い空のように広がって自然体で勉強も仕事もするべきです。そうすれば自分に合った勉強方法、仕事を自然に見つけられ名人上手になる事が出来るのではないでしょうか。

 今の世は物質が威張りすぎて人間に心や魂のある事を忘れ、自然体で生きられなくなっているのです。今の子ども達が本当に可哀想な気がします。ピアノの弾き方も音楽論又は音楽学等が大切なのではなく、もっとピアノを弾く人間の体が自然体になるように、堅くならずにのびのび音楽を楽しんで弾けるように教えなければいけないのです。

 体のことは毎日々々周りの人が気を付けなければいけない事で、愛情がなければ出来ない仕事です。

 20世紀の物質文明の大きな流れの中で、一個人がどんなに頑張ってもその流れから逃れる事は難しいでしょう。それでも何も気がつかずに流されるだけでなく、便利になったため失ったものを取り戻す努力を少しでもしたいものです。 【K】(1997.11.8.掲載)

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