才能教育研究会ピアノ科




投稿者: river 投稿日時: 2006-5-17 2:20:59 (848 ヒット)


 昔、私が生徒から先生に変身した時、私の頭の中はとても単純な考えに支配されていました。それは「生徒は必ず毎日練習する」ものだと信じて疑わなかった事です。私が生徒の時には365日練習を休ませてもらった事はなかったせいです。

 それで一週間たってレッスンに来た生徒が上手になっていない時、私は自分の教え方が悪いのだと反省し尚一層熱心に教えました。しかしなかなかうまくいきません。鈴木先生は“どの子も育つ”と言われています。何とかしなければと悩みました。

 ところがある時、鈴木先生が私に何の気なしに言われた事がこの問題の解決のヒントになりました。それは「何のかんのと言っても上手にならない生徒は練習してないだけです」でした。

これはもう素晴らしい名言です。良い練習を毎日たくさん積めば誰でも上手になります。当然分かり切った事ですが、一軒々々のお家にはそこの家庭の都合があり、それぞれの人の生活がありますから一家の中で、子供の練習をどうしても毎日上手にやれない事だって生じるのです。

 そして神様がそれを私に実際の生活を通して教えて下さったような気がします。私も自分の子供を持った時ピアノの上手な子にしたいと夢をみました。ところが私の仕事がとても忙しく現実と夢とはどうしても一致しませんでした。この世の中には一人の人間の力ではどんなに頑張ってもどうにも出来ない事があります。私はいろいろな経験をした結果、
“何も親子が心がけが悪い訳ではなく、毎日練習出来ない家だってある”
“何も急いで上手にならなくてもいい”
“大事な事はほんの少しでもよいから良い練習をする事、そして諦めないで気を長くして教育する事”
という結論にたどりつきました。

 進み方はどんなにゆっくりでもいいのです。人間は自分でやる気を持った時、素晴らしい能力を発揮します。それまで待ってあげる事が大切です。そしてそのゆっくりの間に先生に正しい基本をレッスンのたびに教えていただき、良い練習を少しでもいいからする習慣を作る事です。

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投稿者: river 投稿日時: 2006-5-4 22:56:33 (855 ヒット)


 コンサートでA子さんがとても上手に演奏しました。B子さんのお母さんが「A子ちゃん毎日どれくらい練習するの?」とたずねると「2時間」という返事がかえってきました。「B子! A子ちゃんは毎日2時間ですよ。あなたも2時間練習しなければいけません!」よく演奏会のあとでお母さんと子供との間で交わされる会話です。

 どういう訳か、皆さん練習を何時間やったかという数字にこだわります。内容はちっとも問題にされません。練習は内容がとても大切で、良い練習と悪い練習がありますから何をどう練習するか選ばなければいけません。
皆さんがそれに気が付かれない事を私はいつもとても不思議に思います。なぜかと言うと悪い練習を毎日1時間でも2時間でもやると下手になります。その上悪い癖がしっかり身に付きます。それよりか良い練習を毎日30分やれば、良いものがしっかり身に付き上手に弾く能力が育ちます。即ち上手になります。

 どうぞ皆さん“何時間練習した!”ではなく、その練習が良いか悪いかの内容に気を付けて下さい。気が付かないで悪い練習を一生懸命やってしまう事ほどバカなことはありません。

そして幼い子供達は感性だけで先生からレッスンの時教えられた良いことを受け取りますから、その場ではとても上手ですが家で練習する時、子供特有の欲のなさから教えられた事を思い出せず、ぼんやりしていてほっておくとひどく悪い弾き方をしてしまいます。
それで練習の時はどうしてもお母さんの助けが必要です。大人は知識が豊富で欲がありますから、レッスンの時の事を覚えていて毎日良い注意をしてあげる事が出来ます。子供と大人(先生と親)が助け合うと、良い内容の練習が出来るのです。

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投稿者: river 投稿日時: 2006-3-19 1:37:25 (1248 ヒット)


 NHKのテレビだったと思います。クイズの中で食事のマナーについていろいろの話をしていました。その中で

1. なぜ日本人はフランス料理を食べる時、お皿に顔を近づけてしまうのか?

2. フランスの大使館のフランス人数人に聞いた日本人の食事のマナーで一番いやな悪いこと。それはお料理を食べる時、特にスープの時音をたてる事でした。
 この2つは常日頃“なぜ?”なのだろうと考えていましたので解答はとても興味深いものでした。

〈1〉 日本には日本食の歴史があります。会席膳です。それは畳の上に置かれていますから必ずお椀、お皿、小鉢でもお料理の入った器を手に取って、顔の近くまで持ってきていただきます。日本食は原則として全部入れ物を手にとって食べるのが正式のマナーなのだそうです。

だから先祖代々私達にはその歴史があるので、食べる物と顔とが近くないと落ち着いて食べた気がしないのですね。それで日本料理と正反対の決してお皿を手で持ってはいけないフランス料理の時に、つい顔をお皿の方に近づけてしまうのです。

〈2〉さて次はスープをいただくとき音をたてる理由です。フランス人が40℃のスープを流し込むように、綺麗なマナーで口に入れた時にその口の中の温度を計りました。それは全く同じ温度で40℃でした。次に日本人が同じ40℃のスープをズルズル音をたてて飲むと口の中の温度は30℃になります。日本人は生活の知恵で熱い物を飲む時、空気を一緒に吸い込んで冷ましてしまうのです。

何と素晴らしい知恵ではありませんか。考えてみると今の日本食でもおそば・うどん・ラーメンを始めとして、食事のときあたたかい汁物を沢山食べているような気がします。それに比べ世界中の国々の食事にはあまり汁物がないのではないでしょうか。日本の気候風土が私達に合った食事を与えてくれ、それを熱いまま上手にいただく生活の知恵を身につけたのだと感心してしまいました。(ただやはり音はあまりたてない方がいいと思います)

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投稿者: river 投稿日時: 2006-2-15 23:45:50 (803 ヒット)


 今、日本の家庭の中のマナー(お行儀)の躾はどうなっているのでしょう。
 昭和の初めの頃の日本の家屋は、立派なお屋敷でも洋間は一間だけであとは日本間というのがごく普通の家だったのではないでしょうか。その他の家はほとんど畳の部屋だけでした。そしてその当時の母親の服装は着物が多かったように思います。

 私の母親(明治32年生まれ)もいつも着物で帯をきちんとしめ子供の前では正座していました。そして私達も学校から帰ると必ず畳に手をついて「ただいま帰りました」とあいさつしました。それと何か失敗してあやまる時は必ず同じように正座し、手をついて頭をさげ「ごめんなさい」とあやまらせられました。食事の時はお行儀よく座り、食べ方もかなり色々とロうるさく注意されたのを覚えています。

 生活の中の礼儀とは家族が一緒に暮らす上の基本のルールであって、それを必ず守る事が、秩序を守って人間が生きていく上で大切な事なのです。そしてそれを毎日繰り返し言われると、いつの間にか子供の身につきその立ち居振る舞いが美しいので、躾という字が出来たのではないでしょうか。畳の日本家屋が子供達に背筋を伸ばし、きちんとしなければいけない場を沢山提供してくれていたように思えます。

 さて、昭和の初めから60年以上たち、今の日本人の生活環境はすっかり変わってしまいました。畳は隅の方に押しやられて、ほとんどが椅子とテーブルの生活です。椅子とテーブルは、人間の体の動きの中でほんとうに合理的に出来たよい道具だと思います。それと服装は当然、着物から洋服に移りました。洋服も働くためには機能的で便利です。その他いろいろ便利な電気器具等で生活水準は50年前とは比べられないほど進歩しました。ただ、この変化の中で子供達の躾はどうなったのでしょう。

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投稿者: river 投稿日時: 2006-1-11 2:18:41 (925 ヒット)


 「ものごとのおおもとになるもの。そこからいろいろなことが発展したり、変化したりする。」国語辞典を引くと、こう書いてあります。尚、おおもと(大本)を引くと「ものごとの基礎になる一番大事なところ」とあります。そうです。基本というのは何か物事を始める時、一番大切に丁寧に取り扱わなければいけないものなのです。

 学校で習う勉強でも、国語、数学、英語、それぞれ大切な基本があるはずです。ある大学浪人の生徒が駿台予備校に一年通って、そこで「数学の基本を徹底的に教わったおかげで、私はどんな問題でも解けるようになった」と言っているのを聞いた覚えがあります。

 スポーツの世界では、一番よく基本々々と言っています。体を使い、結果がすぐ分かりやすく出る世界なので間違わないのでしょう。音楽だって同じです。ピアノの弾き方もそうです。基本さえしっかり身につければ、どんな曲だって理解し弾けるようになります。

 ところが今迄の子供の音楽教育は、子供は何も幼稚で分からないという間違った考えから、いい加減に遊び半分にお相手をして基本なんかすっかり忘れて、ひどい教え方をしています。音楽は音ですから目に見えません。手で触ったりつかまえたりする事も出来ません。それですっかり、いい加減にしてしまうのです。

 建築等は一目瞭然です。基礎をいい加減にして、その上に建てた家は安全といえません。ビルディングにしても同じです。基礎がしっかりしていないで、気楽に造った家はエジプトの地震の時のように六階建ての建物がすっかりつぶれてしまうような惨事が起こります。

 一階が出来ていないのに二階や五階を造る事は不可能だということは、はっきり分かった事です。ところが音楽の教育の世界では、基礎などいい加減で一階も二階もまだ出来ていないのに、五階を造るような事が平気で行われています。いざというプレッシャーがかかった時つぶれるのは、おそまつなビルディングと同じです。(プレッシャ−とは演奏会、入学試験等々)

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